“正体をさぐる…?!” (あおばタイムズ 69)

 「あなたの正体は、いったい何ですか?」…こんな質問を自分自身に対してしていることがあります。私という人間は、医者をやっていて、心療内科や老人施設で診療をしており、また同時にカウンセラーでもありますが、それはあくまでも社会的な役目や働きのことです。ここで、オーラソーマのボトルの色を通じて、私自身について見てみましょう。たとえば私が、107本ある《オーラソーマ》のボトルの中から36番のボトルを選んだとします。オーラソーマのボトルは、すべて上下が美しい色の二層に分かれていて、上層は「意識」や「パーソナリティー」を、下層は「無意識」や「たましい」の性質を表すと言われています。36番の色は上層がヴァイオレット、下層がピンクです。上層のヴァイオレットという色は癒しや奉仕と関係しており、また他の人々が変容するプロセスを手助けするといった意味合いもあります。また下層のピンクは全てのものをありのままに受け入れる色であり、思いやりと理解を表す色でもあります。ですから、上下がヴァイオレット・ピンクの36番のボトルは、自分自身がもともと持っているありようを受け入れ、そのことを通じて他の人々をも受け入れていくほどに、奉仕や変容を現実化していくことができる―ということを示唆しています。
 自分の正体を知るために、いろいろなことにチャレンジしてみるのはよいことです。たとえばある役者さんが、時代劇ではいつも主役級で偉い人物の重厚な役ばかりを演じていたとします。それが、あるきっかけでバラエティー番組に出たり歌を唄ったりしたところ、周りの人から見てもとても楽しそうで素敵に感じられ、評判も上々でした。本人も、そうしていると実際に楽しく、いつのまにかそれもまた自分らしい姿であることに気づいたのではないでしょうか。こうやって、人はさまざまなきっかけを通じて自分というものに気づいていくことができます。自分自身というものに限界を設けずそれを拡げていくことは、ほんとうに素晴らしいことだと思います。

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“ルーツを感じて” (あおばタイムズ 67)

 NHKの新しい大河ドラマ「篤姫」が始まりましたが、私はその舞台である鹿児島の出身です。高校を卒業するまでは、錦江湾の向こうに噴煙を上げる桜島を望みながら親元で暮らしていました。大学入学と同時に福岡で一人暮らしをするようになりましたが、生まれ育った馴染み深い土地と実家を離れ、徐々に社会へ出るにつれ自分をとりまく世界が広がり、いつのまにか郷里である鹿児島や育ててくれた親・家族のことはあまり省みない生活を送るようになっていました。テレビやインターネット・本などを通じて得る多くの情報について考えを巡らせることはあっても、自分自身の歴史やそれを支えてくれた家族や周囲の人々、その時々に置かれていた環境についておもいを巡らせることは少なくなっていました。しかし、たとえ親と離れて暮らし社会的には一人前の大人になったとしても、人の心にはなお、自分の親や育てられた環境の影響が大きく残っているものだと、最近は思うようになりました。
 私たちはしばしば、自ら変化し成長したいと望むものですが、往々にして自分を取り巻く”条件”のようなものを否定したくなることもあるものです。つまり、自分が変わっていけないのは、生まれ育った環境のせいであったり、親のせいであったり、他人のせいであったり…というふうに考えてしまいがちです。しかしそのようなおもいばかりでは、今ある状況というのはいくら変えたくてもかえって変化させにくいものです。むしろ状況を変化させるのに有効なのは、様々な要因をあくまでも『自分自身の』問題として考えてみることだと思います。その意味では、親や育った環境といった、いわば自分の”ルーツ”を振り返る時に、その中で育った自分というものをそのまままるごと受けいれてみることが、意外にも次のステップへと進むための大きな一歩になるのではないかと思います。

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“対等であること” (あおばタイムズ 63)

 人間同士がよりよい関係を保ちながらともに生活を続けていくためには、“対等である”ことが重要だと思います。“対等である”ことから連想される人間関係といえば、おそらく友人関係や同僚、仲間…といったイメージではないかと思うのですが、じつは夫婦関係はもとより、親と子、上司と部下、先生と生徒、医者と患者…といったどのような形態の人間関係においてもそれは欠かすことができない基礎的な土台であると、長年カウンセラーの仕事を続けてきた結果考えるようになりました。
 たとえば、レストランの顧客と店側との関係をイメージしてみましょう。客側が「こっちはお金を払う側なんだから、どんなに勝手な注文や文句を言ってもかまわない」と思っているようであれば、店側の人間と互いに尊敬し合えるような人間関係を築くことは困難でしょうし、逆に店側の人間が「こっちは美味い物を食わせてやっているんだから、お客は店の方針に従うべきだ」といった感覚でいれば、より良いサービスを提供したり、客が心から望む味や満足を与えることは難しいように思えます。私自身、医者の仕事を始めた当初は「患者さんを指導するのが医者の務め」といった意識が強く、どちらかと言えば病気や治療に関する知識に頼った医療を行っていたように思います。患者さんには、体の中で何が起こっているのか、そのためにどのような治療を行うのか…といった説明をしていれば事足りるように考えていました。しかし多くの患者さんに接しながら心療内科やカウンセリングの仕事を続けるにつれ、知識や理論だけでは皆さんの心に響く会話をすることはできないことに気づきました。そして次第に、医師やカウンセラーとしての立場をわきまえつつも、同じように人生を生きていることに関しては“対等である”一人の人間として、知識や理論だけではなく自分自身の経験や考えを踏まえながらお話をするよう心がけるようになってきたのです。
 決して「自分の方が物事を理解している」とか「自分の方が権威をもっている」と考えて他人をコントロールしようとするのではなく、相手が誰であろうとその人格を尊重しつつ、自らも柔軟な態度で接し、そうすることで相手と自分とをさらに大きく開かれた存在へと成長させてゆくことこそ“対等”と言え、それが人間の成熟につながるのではないかと思います。親と子、上司と部下…といった立場や役割の上での色メガネを外して一対一の素の人間同士としてお互いを見る時~それまでは気づかなかった共感の波が広がっていくのかもしれません。

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“自 由” (あおばタイムズ 58)

 私がカウンセリングの仕事をしていることから、「きっと先生には私のような悩みなどないだろう…」と考える方も多いようです。しかし私に言わせれば、悩みのない人間にカウンセリングなどできるはずもなく、またその逆に、同じことで悩み続けてばかりいる人間にもカウンセリングをすることはできないだろう~という結論に達します。私の考えでは、悩みがあることは悪いことではなく、それが少しずつかたちを変えてゆくことこそ重要だと思うのです。
 私たちが「自由になれない」、「思いどおりにならない」…と、ため息をつく時。多くの場合それは、自分が置かれている環境や周囲の人間といった、自分以外の何ものかが原因だと考えがちです。ところが、生き生きと輝いている人たちの生き方に目を向けますと、彼らは自分が置かれている状況を、決して環境や他人だけのせいにしてはいないことに気がつきます。たとえば桑田真澄選手や松井秀喜選手といった、長年プロとして活躍を続けている野球選手の言動に目を向けてみましょう。たとえ私たち他の人間から見れば不運なアクシデントと思えるような場面で大ケガを負ったとしても、彼らはそのことで決して腐ることなく、あくまでそれを自分にとっての前向きな出来事・新たな成長の機会ととらえ、さらに新たな次の段階へとステップアップしようとしています。どんな芸術家や実業家、スポーツ選手であっても、長年にわたり注目されつづけている人たちというのは、よくよく見ていると常に変化し、成長をつづけていることがわかります。そしてそれは、決して外から与えられたものではなく、常に彼ら自身の選択によってそうしているのです。
 よく、「これは私の『性格』なのでずっと変わりません。」と言う方がいらっしゃるのですが、その方は「私の性格は『変わらない』。」という選択をしているにすぎないのです。私たちが“性格”と呼んでいる何ものかが変わるのか変わらないのか…、ほんとうのところは私自身もよくわからないのですが、確実に言えることは、「性格は変わらない」と思っている人にとって「性格」は変えることができないものであり、「性格は変わるものである」と信じている人にとって『性格』は変えることができる―という事実です。
 まったく、私たちが日頃なにげなく使っている言葉ほどこわいものはありません。…しかし言葉はこわいものであると同時に、うまく使うことができれば私たちの夢を実現してくれる“魔法の杖”にもなりうるのです。~私たちが自由になるためには・・・まずは状況や環境を変えようとするより先に、自分で自分自身を縛っていたことに気づかなくてはなりません。

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“あなたが主役!” (あおばタイムズ 53)

 年末にアメリカのタイム誌が毎年恒例の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」を発表しました。例年その一年を象徴する大きな活躍をした人がただ一人、年末に選ばれタイム誌の表紙を飾ります。そして昨年の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」は、“あなた”でした。~そう、あなたです!そこであおばタイムズをお読みになっている、“あなた”。年末に発売されたタイム誌の表紙には鏡がついていて、“あなた”の顔がアップで表紙を飾っています。選考理由は「各個人がインターネットを通じて自由に情報を受発信して世界を動かす時代となり、組織から個人がパワーをもつ時機へ移行しつつある」というものでした。しかし、そこのあなた!…パソコンやインターネットが使えるかどうかは問題ではありません。要はあなた自身の『意識』の問題です。
 カウンセリングや病院の診察で、カウンセラーや医者に「すべておまかせ」という方(あるいはご家族)がいらっしゃいます。しかしそのことはカウンセリングや治療の経過において大きな困難を感じさせるものです。ご本人に「カウンセリングを受けることで何とか状況を打開したい」とか、「治療を受けることでぜひとも良くなりたい」という気持ちがなければ、いくらカウンセラーや医者が努力しても報われないことが多いのです。これはカウンセリングや治療に限らず、人生全般に言えることだと思います。
 私の友人から聞いたのですが、今年は六十年に一度やってくる縁起の良い『金豚の年』だそうです(中国の故事)。ぜひ“あなた”自身の力で、そのパワーをご自分の手元に引き寄せていただきたいと思います。~ A HAPPY NEW YEAR !!

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“幸せへの近道” (あおばタイムズ 52)

 幸せになる方法をお伝えします!―こんなことを書いているとカウンセリングへみえるお客様が減ってしまうかも知れませんが(笑)、時期的にクリスマス前でもありますので気前よくいきたいと思います。
 幸せになる簡単な方法のひとつは、自分が発する言葉に注意することです。ポイントは二つ。①ネガティブな言葉は使わず、できるだけポジティブな言葉を使って話すようにする。②自分の使った言葉が、伝えたい事を正しく表現しているかどうかに気をつける。(相手の反応を見て、自分が伝えたい意味で伝わっていないように感じられた時には言い方を変えてみるなど工夫をする)~以上。これを半年も続ければ、あなたの生活は確実に変わってくるでしょう。いや、ひょっとすると一週間もしないうちに効果が現れるかもしれません。
 “言霊”(ことだま)という言葉で表されるように、言葉はエネルギーを持っています。あなたがポジティブな言葉で話しかければ、相手の心と体は活性化されて元気になりますし、あなたがネガティブな言葉で話しかければ、相手の心と体は萎縮し緊張してしまいます。もちろん電話やメールで相手が離れていても全く同じです。あなたがポジティブな言葉で話しかけた時、相手からもまたポジティブな発想や言葉が引き出されやすくなります。その言葉は直接あなたに還ってきて、今度はあなたの心と体を元気に活性化してくれるのです。―これはまさに、“幸せになる”いうことです。
 私からのクリスマス・プレゼントとして、一冊の本をご紹介します。鈴木鎮一さんの「愛に生きる~才能は生まれつきではない」(講談社現代新書)です。この本もまた、心に沁み込ませるようにして読むことであなたを幸せにしてくれるはずです。

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“勇気と歓喜” (あおばタイムズ 50)

 四年ほど前から続けてカウンセリングにみえている三十代の女性の方のネット上の日記です。「今日は朝から車椅子で自分の力だけで駅まで行ってみました。歩くと大体十八分くらいの所に駅があるのですが、坂道を登ったり降りたりで一時間ぐらいかかってしまいました。でも、駅までいけるという自信が少し出てきました。電動の車椅子をとも考えていたのですが、今のまま手動式でもいいかなと思いました。」―このあと数日は前腕部が筋肉痛になってしまったそうですが、彼女の勇気ある行動に心から拍手を送りたいと思います!
 芸術家の岡本太郎さんがスキーを始めたのは四十六歳の時でした。「見上げると、絶壁のような上級コースが白々と輝いている。ああ、あんな凄いところで滑ってみたいなあ。(中略)こんなところで滑ったら、猛烈な勢いですっころんで、首の骨でも折って死んでしまうんじゃないか。ウーム!迷った。しかし来た以上、やってやろう。死と対面することこそが、いのちを燃やす真のよろこびじゃないか。決意して、滑りはじめ、歯を食いしばって突っ込んで行った。とたんに、ステーンと、凄い勢いで転倒した。頭から新雪の中にもぐってしまい、何も見えない。だが嬉しかった。何か自分が転んだというよりも、ぼくの目の前で地球がひっくりかえった、というような感じ。地球にとても親しみを覚えた。」…彼女のニュースを読んだ頃、なぜか十五年ほども前に読んだ岡本太郎さんの本に書いてある内容を思い出していました。~『ぼくは生きるからには、歓喜がなければならないと思う。歓喜は対決や緊張感のないところからは決して生まれてこない。』

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“計るだけダイエット” (あおばタイムズ 46)

 私は最近、“計るだけダイエット”を実行しています。男性も四十に近づくとお腹の周りが…。私はまだ見た目で「太っている」とは思われないようですが、この頃はズボンのウエストが苦しくなってしまうことがあり、手遅れになる前に対策を講じることにしました。
 “計るだけダイエット”とは、朝の起床後トイレを済ませた後と夕食後の一日二回、毎日体重を測定して一〇〇グラム刻みの記録用紙に折れ線グラフを書いていくという簡単なもので、専用の用紙はNHK「ためしてガッテン」のホームページからも入手できます。
 私は、この方法は人間の心の動きを実にうまく利用していると思います。『物事をありのままに見る』ことは、それに対する改善策を考えて実行するうえでとても大切なことです。しかし私達はしばしば、その最初のステップを抜きにして事を進めようとし失敗してしまいます。体重の変化をありのままに見える形にする。すると、自ずとそれに対して対策を講じようとする心の動きが出てくるということです。
 私の場合、約一ヶ月で2kgほど体重を減らすことができました。週に何度か運動するために時間を作るのというのは今の私の生活上現実的ではありませんが、一日二回、一分間で体重を計って記録することは不可能ではありません。
 理想を追いかけるあまり現実から目を背けてしまうよりも、まずは目の前の現実を直視する勇気を持つことこそ、長い目で見れば理想へ近づく近道になるはずだと考えています。

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“できること、できないこと” (あおばタイムズ 42)

 「自分でもどうしていいのか、分からなくなってしまいました」と、カウンセリングルームを訪れる方が多くいらっしゃいます。
 仕事のこと、家族のこと、それに自分のこと。考えているうちに何本もの糸がからみ合いこんがらがって、どこからどのようにほどいていったらいいのか分からなくなってしまったようです。
 「考えすぎなのは分かっているのですが…」と言われる方もいます。考えるのは決して悪いことではないのですが、自分を前へと進めてくれる考え方と、かえって身動きがとれなくなってしまうような考え方の両方があるのではないでしょうか。
 大リーグ・ヤンキースの松井秀喜選手が五月の試合中に左手首を骨折してしまいました。全治三ヶ月の重傷で、彼にとっては生まれて初めての骨折でした。まだシーズン前半なだけにさぞ落ち込んでいるのでは?と心配しましたが、松井選手は冷静で前向きでした。「起こってしまったことは仕方ない。…骨は急に付くものではない。やれる範囲のことを積み重ねていく。―」とのコメントを聞き、安心しました。
 私たちには、“できることと、できないこと”があります。
 たとえば「自分の顔が気に入らない」という方がいるかもしれません。自分で目や鼻の形や大きさ・配置を変えることはできませんが、顔つきを生かしたメイクの仕方を研究することはできます。また素敵だと思える人の表情を意識してマネするよう心がけていれば、表情筋にクセがついて少しずつ素敵な表情へと変化することも可能でしょう。
 松井選手のように、自分の力でどうにもならないことはすっぱりとあきらめ、今の自分にできることを着実に行う。その積み重ねが、最後には現実を望むかたちへと近づけてくれると思います。
 もつれてしまった糸を解きほぐし、いま何ができるのかを考えるためのお手伝い―それができたらと思っています。

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心の休日~心療内科医の立場から~ (こころ相談.com カウンセラー特集より)

 今回のテーマは“心の休日”ですが、いざ書いてみると「なかなかむずかしいテーマだなぁ…」と思ってしまいました。
 というのも、自分自身をふり返った時、どれだけ上手に“心の休日”を過ごせているか自信がなかったからです。
 けれども、色々な方から心の休日の過ごし方を聞いて自分自身で試してみること、そしてその中から自分に合ったやり方を見つけることは、たいへん有意義なことだと思います。
 私も心療内科医の立場から、また個人的な考えも交えながら、“心の休日”のヒントについて書かせていただきたいと思います。

①しばらく目を閉じてみること
これは最近のヒットだと思っているのですが、一番手軽で簡単な“心の休日”(心の休み時間?)の作り方です。
人間が五感を使うと脳が働きますが、その際の70~80%は視覚、つまり「見る」ことに関係している部分なのです。長時間パソコンを使う方の中には目の疲れや頭痛・肩こりを訴える方が多いのですが、これは目だけでなく脳の酷使が原因のようです。
これらを緩和するには、1分でもいいから目を閉じること。つまり視覚からの情報をカットするのが効果的です。3分、5分と続けられればなお良いでしょう。最近、日中の疲労回復には15~20分間程度の昼寝が最適だと言われていますが、その際には眠れなくても、目を閉じているだけでかなりの効果があるということです。

②歩く時、意識的に風景を見ること
 カウンセラーあるいは心療内科医としてお話を聴いていますと「一日中ずっと考え事をし続けてしまいます」と言われる方が多いので、その対処法についてお話ししましょう。
 一つ目の方法は、歩く事です。ただ歩いているだけで気分が変わることも多いのですが、考え事をしている時には歩いていても歩きながら考え事を続けてしまう場合があります。そのような場合には、目に映る風景を意識的に見ながら歩いてみて下さい。「隣の家の桜の木の緑が先週よりも濃くなったな」とか、「新しいビルの建設が前より1フロア分進んだみたいだな」とか、目の前にある事柄を一つ一つ言葉にしながら見ていくのが良いと思います。
 漠然と見るのではなく具体的に意識をしながら見ていくことで、頭の中を駆け巡っていた考えが薄れやすくなってくるのです。

③考えてしまうサイクル(悪循環)に“ストップをかけてみる”!
 これが二つ目の方法です。
「どうやっても考え続けてしまいます」という方のなかには、実際に“考えるのを止める”という行動をとってみたことがない方もいらっしゃるようです。考え続けてしまう自分がいることから、「どうしても考えが止まらない」と思いこんでしまうようです。
 是非、意識的に“考えるのを止めて”みて下さい。一分でも、十秒間でもいいです。短時間でも考えることをストップできたら、それを何回も何回も繰り返して下さい。
脳生理学的に、ある事について考え続けると脳の中にそのための回路が作られ、だんだん回路が太くなって一つの考えからますます抜け出しにくくなってしまいます。逆にその回路を細くして考えに「とらわれない」ようにしていくためには、考えが起きた時に自ら意識的に考えるのを止めるか、もしくは他の事を考えるように自分で切り換えることです。それを何度でも、気長にしつこく繰り返すことです。
 そうすることで『考えてしまうサイクル(悪循環)』を形成していた脳の中の回路の力が弱まって行き、徐々に“心の休日”と思えるようなホッとできる時間が訪れるようになるでしょう。

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“未来をひろげる” (あおばタイムズ 38)

 “食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒等の生活習慣が、その発症・進行に関与する症候群”を「生活習慣病」と呼んでおり、代表的なものとして糖尿病・肥満・高脂血症・高尿酸血症・高血圧症・アルコール性肝障害・歯周病・一部の癌などが挙げられています。これらの状態を改善するためには、自分自身の生活習慣の見直しが何よりも大切ということになるわけです。
 けれども、これまでの生活で身についた習慣を変革するのはなかなか勇気のいることです。私の場合も息子が保育園に通うようになってからは朝五時半ごろまでに起きているのですが、ともすると前夜パソコンに向かっているうちに長い時間が経ってしまい、翌日になって寝不足気味で後悔することになります。習慣を改めるのに苦労していますが、意を決して早めにパソコンを閉じることができた翌日は実際に体も疲れにくく調子がいいのを感じます。
 このように、現在言われている「生活習慣病」以外にも、生活習慣を見直せないことに端を発する“快適ではない状態”というのはしばしば経験されます。テレビゲームや夜のつき合いが原因で夜更かしを続けたり、やるべきことを先延ばしにして自ら気分的に落ち込んでしまったりと、“改められない生活習慣症候群”?と言ってもいいような状態は誰しも経験することでしょう。
 このような状況を改めようとする場合には、「過去」よりもむしろ『未来』に目を向けてみるのがよいと思います。私たちには記憶があるので過去と同じ失敗を繰り返してはあきらめてしまいがちですが、新たな未来を作り出すには目の前にあるひとときの誘惑を振り捨てる勇気も必要です。「ちょっと一杯飲みたいけれど、明日を充実した一日にするため我慢しよう!」~そんな小さな積み重ねが、未来への新しい可能性をひろげてくれるはずです。

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”万歩計” (あおばタイムズ 36)

 万歩計を買いました。整体へ行った時に「あまり歩きませんか?下半身の気の流れが滞っているようですね。」と言われたのがきっかけでした。はじめは八十歳を過ぎても舞台ででんぐり返しを披露される森光子さんを見習ってスクワット(脚の屈伸運動)を続けようとしたのですが三日坊主に終わってしまい、歩くことへと方向転換したのです。折しも桜の季節で散歩には最適の時期でした。多少面倒だと思ってもクセをつけることが大切と思い、今でも回り道をしたりしながら少しでも距離を稼ぐようにしています。
 何事かを続けようと思った時、目標設定の仕方というのは意外と難しいものです。私の場合も「目標は一日一万歩!」といきたいところでしたが、今までと同じような生活をしながら測定してみると一日平均は二千~三千歩台。「よく歩いたなぁ」と思った時でようやく五千歩を越えていました。ですから一日の目標はとりあえず五千歩。まずは今の時点で現実的に達成可能な目標(これまでの二~三割増ぐらい?)を掲げ、あまり欲張らずに始めるのが続けるためのコツではないかと思います。
 もう一つのコツは、野球で言えば打率ではなくヒットの本数のように、割合では計算せずに一回一回の積み重ねを意識することだと思います。一週間のうち一日だけ目標達成できた場合、率にしてしまうとわずか一割四分になってしまいますが、「一度は目標を達成できた」ことを喜びにすれば、次はシンプルに二回目の目標達成を目指すだけです。人間というのは頭が良くなりすぎて先のことまで考えて計算をしてしまいがちですが、ただ目の前のことだけに専心すれば意外と事は単純になります。
 一、二年経ったら万歩計がなくても自ら進んで歩く生活になっているよう、私も今できるところから始めたいと思います。

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“言葉のチカラ” (あおばタイムズ 33)

 荒川静香さんがトリノオリンピックで金メダルを取りました。オリンピック開催前、国内のメディアからは他の選手に比べてどちらかというと脇役的な扱いをされていたようにも思うのですが、ある意味見事な逆転劇でした。マスコミや私たちファンの手前勝手な喧噪の渦の中、荒川選手の表情には一貫して「自分のやるべきことに集中しよう」という固い意志が溢れていたように感じられました。きっと終始一貫、彼女は自分自身に対してそんな言葉を繰り返していたのではないでしょうか。
 言葉の力は大きいものです。荒川選手のように自らを高めるためにポジティブな言葉を反芻し、それを勇気へと変えて行くような場合はいいのですが、逆にネガティブな言葉や自分の限界を規定してしまう言葉もまた、大きな影響力を持ってしまいます。
 カウンセリングや心療内科でお会いする方の中にはよく、「私はいつも聞き役で、悩みを聞いてもらうことはほとんどありません」という方がいらっしゃいます。聞き役に回るのは決して悪いことではないのですが、そんなパターンを繰り返してストレスを感じてしまう方が少なくないようです。じつはこのような場合、『私はいつも聞き役なんだ』という自分自身への言葉かけが、余計にその状態を固定化させてしまう場合が多いのです。
 何も知らない小さな子供たちは、その時その時の状況に対してその都度思いがけない反応をします。あらかじめ考えたりはしないので、本来持っている自由な可能性が発揮されやすいのです。そしてそれは大人でも同じこと。いつも「自分はこういう人間だ」と意識しすぎるよりは、その時々に自分がどんな反応をするか楽しんでみるぐらいの気持ちの方が、幾つになっても今まで知らなかった新しい自分に出会える可能性が高くなるように思います。

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言葉に縛られない!のココロ

 何事につけても、良いことと悪いこととは裏・表の関係にあります。
つまり、何らかのプラス面があるということは、別の見方に立つとそれがそのままマイナス面でもあるということです。
ですから、一つ一つの物事を単純に「良い事」とか「悪い事」と言い切れるものではないのです。

 たとえば「病気」もそうです。
 ある人が病気であるという状態は、本人にとっても、ご家族にとっても、あるいは職場にとっても、多くの場合には全くマイナスであるかのように感じられます。
 しかし病気という状態を通じて、それまでは当たり前のように感じられた自分や家族の健康のありがたみがしみじみと感じられるようになったり、会社にすべてを捧げて体を壊すまでに至った自分の生活スタイルを見直して新たな人生を踏み出したりと、病気のおかげでより豊かな人生を歩むことができるようになる方も数知れないのです。

 たとえば「子供が生まれる」というと誰もが「よかったね」と祝福してくれる場合が多いのですが、出産を控えた方や子育てに苦心している方のなかには、これから出産しなければならないという事実や、日々ともに暮らしている自らの子供の存在を素直に喜ぶことができない方もたくさんいらっしゃるのです。そのような方々のなかには、周囲の祝福や期待と、ご自分の正直な感情との間のギャップに悩んでしまわれる方が少なくないのです。
 私たちは、ほとんど自動的と言ってもいいぐらいに「子供が生まれる」→「幸せ」という図式を頭に描いてしまいますが、これは習慣化・固定化された一つの“パターン”といってもいいぐらいで、「子供が生まれる」という現象一つをとっても、実際にはそれぞれの生活のあり方や個々人のパーソナリティによって、じつに様々な心模様が描かれるのが当然なのです。

 いつの世も多くの人の心を苦しめているのは、あまりにもステレオタイプ化されたものの見方、まるで「こうでなくてはいけない」と決めつけられてしまうような、マスコミをはじめとする多くの存在による定式化された言葉の数々だと感じています。

 私たち人間にとって“言葉”はなくてはならないものですが、それはあくまでも表現するための手段・道具に過ぎません。かつて「律法は人間のためにあるのであって、人間が律法のためにあるのではない」と語った人がいますが、まさに『言葉は人間のためにあるのであって、言葉が人間を縛るべきではない』のです。
 私が“言葉”を扱うカウンセリングに興味を持ち本業としているのは、一つには言葉に縛られて動けなくなってしまっている方々を自由にしてあげたいからなのかもしれません…。

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“完璧症候群” (あおばタイムズ 32)

 たとえば、学校へ行くことができない人がいます。週に一回でも行くことが出来れば、全く行けない状況からは大きな前進だと思うのですが、続けて行くことができないとイヤになってまた行けなくなってしまうのです…。たとえば、「うつ」がなかなか良くならずに会社を辞めざるをえなかった方がいます。数年経って復帰するにあたり、何としても正社員として就職したいと希望されるため、なかなか再就職先が見つかりません…。たとえば、長年心療内科で薬をもらっている方がいます。「薬は全部やめたい」とおっしゃるのですが、最低限の薬を飲まれることで安定した状態を保っているように見えます。薬をやめて調子を崩してしまった後で一から治療しなおすよりは、今の薬を続けておいた方が危険も少なくご本人のためにもなると思われるのですが…。
 このように、完璧を求めるあまり現状のマイナス面ばかりを過剰に意識してしまう『完璧症候群』とでも呼ぶべきケースをよくみかけます。テレビゲームで言うと、自分の思うように行かないためリセットしたくなってしまうようなイメージでしょうか。今流行の“リセット”という言葉ですが、私たちの人生に完全なリセットはありません。しかしリセットできないことが決してマイナスではないのです。むしろそれぞれの人間にしかない経験・挫折や失敗を糧にすることで、より大きなエネルギーが生まれてくるように思います。
 数年前、「世界に一つだけの花」という歌がヒットしました。何もないところからいきなり花が咲くのではなく、花が咲くかどうかさえ分からない長い期間と経験を経てこそ、最後に美しい花が咲くのではないでしょうか。

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“一年の計” (あおばタイムズ 29)

 「一年の計は元旦にあり」という言葉をあまり聞かなくなりました。年末年始でも大きなお店は開いていますし、私達の暮らしぶりも普段とあまり変わらなくなったせいか、正月を機会にじっくり過ぎ去った一年を振り返り、新しい年に思いを巡らせることも少なくなってきたような気がします。
子供の頃に先生から「一年の目標を立てるように」言われると何だか面倒くさい気がしたものですが、よくよく考えてみると正月を機会に一年間のスパンで目標を立ててみるのも悪くありません。むしろ日ごろそのようなことをしない方にとっては、かえってチャンスかもしれないのです。
 一年の初めに目標を立てるメリットは、①目標を立てたことを忘れにくい。②「一年間の」という期間がはっきりしている。という二点です。①については、何かの時に急に目標を思いついてなしくずし的に終わってしまう場合もあるかと思うのですが、年の初めに目標を立てておくと『今年の目標』として常に意識しやすくなります。目標達成のやり方はいろいろですが、それ以前に大切なのは常に目標を意識して行動することですから、その意味ではとても有利です。また②については、何か目標を立てた時にはそれが達成できたかどうかを判断するのにある程度の期間が必要になります。その期間が短すぎると目標を達成するのも結果を判定するのも困難ですが、一年間という期間は少し大きな目標を設定するにはちょうど良い長さだと思います。今年立てた目標に対する自分の姿勢がどうだったかということが来年へとつながって行く、継続性がある点も魅力でしょう。
 誰かに言われたから…というのではなく、自分のための目標を考えてみる、年に一度の良い機会ではないでしょうか。

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“もう一つの目” (あおばタイムズ 23)

 日々の生活をより豊かに感じられるよう、『もう一つの目』を持つよう心がけるのはいかがでしょうか。
 たとえば「勉強をしなくてはならない」時。“やりたくないのに勉強するのはイヤだ!”…これが一つ目の見方です。しかしもう一つの目で見ると、“やりたくない気持ちを乗り越えて勉強できれば、勉強した分だけ実力がつく上に我慢できる忍耐力をも身につけることができる。”となります。今の気分に自分の行動を左右されるのではなく、もう一歩先を見通せる目を持つことで、自分のとる行動の持つ意味と今後の展開がちがってくるわけです。
 ビートたけしさんが「旨い物を食べた時に一番感動できるのは、今まで旨い物を食ったことのないヤツだ」と言っていました。いつも美味しい物や便利な物に囲まれた生活というのは、もう一つの目で見ると実はあまり感激のない毎日を送っているということになるかもしれないのです。どうやら自分だけで「自分は恵まれている」とか「恵まれていない」とか決めつけることは難しいようです。現実は一つであっても、それにはいくつもの捉え方があります。
 医者として年とった患者さん方を診ていると、「自分もこんなふうに歳をとれたら素敵だなあ」と思う方がいらっしゃいます。そんな方々の多くは考え方が柔軟で、あまり偏ったこだわりを持っていらっしゃいません。こだわりがないからこそ、その場の状況に合わせて楽しく過ごすことができ、見た目にもあまり年をとらないようなのです。
 そんな達人のような生き方をするのはむずかしいことかもしれませんが、今から日々心がけていれば、年をとるころにはいつのまにかクセになっているかもしれませんね。

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“行けばわかるさ” (あおばタイムズ 18)

 「この道を行けば、どうなるものか?危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せば、そのひと足が道となり、そのひと足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。」
  “とんち問答”で有名な一休さんこと一休禅師ですが、実はこんな言葉を遺しています。この詩は『森田療法』の考え方とも通じるのですが、皆さんは森田療法をご存じでしょうか?
 現代人はどうしても「動く前に考えてしまう」ものです。ある行動を起こそうかどうか考え始めると、ああなりはしないか、こうなりはしないかと心配になります。頭の中であれこれ想像して、しまいには不安でいっぱいになって身動きがとれなくなってしまうことさえあります。このようにあれこれと考えてしまうことを森田療法では“はからい”とも言うのですが、森田療法の要点は「“はからい”をやめて、とにかく行動しよう」ということに尽きます。一休禅師の詩は、人間のはからいと行動から得られるものは何なのか、短い言葉で実に見事に表現していると思います。
 カウンセリングにみえる方の多くは、現在ご自分が置かれている局面を何とかして打開したいと考えています。ですからカウンセリングを通じて何らかの変化が生まれれば、今後への新たな可能性が拡がることになると思います。実際に行動してみることで新たな未来に遭遇するのは皆さん方ご自身ですが、カウンセラーというのはそれができるようサポートし、実際に行動することで人生の可能性を拡げて行く皆さんの姿を目の当たりにすることで、さらに力を得させていただく存在だと感じています。

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