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方向指示器を点けてミソ。

私は今40歳になるが、私が子どもだった頃から比べると
変わってしまった現象をたくさん見かけることがある。

そのなかの一つが、
多くのドライバーが方向指示器を点けなくなったことだ。

「方向指示器」とは、車のハンドルの横にあるウインカーを使って
右折や左折をする時にカッチ、カッチ…と点滅させるあれである。

子どもの頃はハンドルを握って車を運転している親が羨ましく、
ウインカーを倒して“カッチ、カッチ…”とやるのさえ憧れだった。
(…そんなことを思える子ども時代というのは、
 まぁバカみたいと言えばそれまでだが、幸せな時代でもある。)

最近では、小さい通りではウインカーを点けない人をよく見かける。
車がたくさん走っている大通りでも、たまに見かける。
「こんなんじゃあ、世の中はなかなかよくならないなぁ…」と感じる。


そもそも方向指示器というのは、
他人さまに自分の車がこれから向かおうとする方向を示すためのものである。
決して、“カッチ、カッチ…”と言わせて自己満足するためのものではないのだ。

けれども、その基本的なことがわからずに車を運転している人が多いと思う。

このような基本的なことをかつては『常識』と言っていたが、
今はどうだかわからない。


『常識』を習得するのは一見面倒くさそうだが、
実際にそれを理解して、それを実行し、うまく行くことは“よろこび”につながる。

そこで生まれてくるのが“向上心”ってやつである。
向上心というのは、そこによろこびがあるからこそ、生まれてくるものなのだ。


たとえば「この世の中をよくするために、あなたには何ができますか?…」
なんて尋ねられると、途端にふだんは考えてもいないような難しいことを考えてしまう。

でも要は、たとえば“方向指示器を点ける”といった簡単なことでいいのだ。
それで直接あなたの人生が変わるとは思えないだろうが、どっこい、確実に変わる。
(ウソだと思ったら、やってみなさい~)


ただし、あなたの人生が良い方に変化してゆくためには条件があって…

① 結果を急がないこと。(…『継続は力なり』)

② 方向指示器だけでなく、ほかの日常の小さなことについても考え⇒行動してみる。

ことがポイント。


たとえば『百匹目の猿』のように(← 知らない方は、調べてみてねん~)、

百人の人間が行動したら、世の中が次の段階にステップ・アップできるかもしれない…

その100人目として“鍵を握っている”のは、もしかしたらあなたかもしれないのだ。

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“ルーツを感じて” (あおばタイムズ 67)

 NHKの新しい大河ドラマ「篤姫」が始まりましたが、私はその舞台である鹿児島の出身です。高校を卒業するまでは、錦江湾の向こうに噴煙を上げる桜島を望みながら親元で暮らしていました。大学入学と同時に福岡で一人暮らしをするようになりましたが、生まれ育った馴染み深い土地と実家を離れ、徐々に社会へ出るにつれ自分をとりまく世界が広がり、いつのまにか郷里である鹿児島や育ててくれた親・家族のことはあまり省みない生活を送るようになっていました。テレビやインターネット・本などを通じて得る多くの情報について考えを巡らせることはあっても、自分自身の歴史やそれを支えてくれた家族や周囲の人々、その時々に置かれていた環境についておもいを巡らせることは少なくなっていました。しかし、たとえ親と離れて暮らし社会的には一人前の大人になったとしても、人の心にはなお、自分の親や育てられた環境の影響が大きく残っているものだと、最近は思うようになりました。
 私たちはしばしば、自ら変化し成長したいと望むものですが、往々にして自分を取り巻く”条件”のようなものを否定したくなることもあるものです。つまり、自分が変わっていけないのは、生まれ育った環境のせいであったり、親のせいであったり、他人のせいであったり…というふうに考えてしまいがちです。しかしそのようなおもいばかりでは、今ある状況というのはいくら変えたくてもかえって変化させにくいものです。むしろ状況を変化させるのに有効なのは、様々な要因をあくまでも『自分自身の』問題として考えてみることだと思います。その意味では、親や育った環境といった、いわば自分の”ルーツ”を振り返る時に、その中で育った自分というものをそのまままるごと受けいれてみることが、意外にも次のステップへと進むための大きな一歩になるのではないかと思います。

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