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“対等であること” (あおばタイムズ 63)

 人間同士がよりよい関係を保ちながらともに生活を続けていくためには、“対等である”ことが重要だと思います。“対等である”ことから連想される人間関係といえば、おそらく友人関係や同僚、仲間…といったイメージではないかと思うのですが、じつは夫婦関係はもとより、親と子、上司と部下、先生と生徒、医者と患者…といったどのような形態の人間関係においてもそれは欠かすことができない基礎的な土台であると、長年カウンセラーの仕事を続けてきた結果考えるようになりました。
 たとえば、レストランの顧客と店側との関係をイメージしてみましょう。客側が「こっちはお金を払う側なんだから、どんなに勝手な注文や文句を言ってもかまわない」と思っているようであれば、店側の人間と互いに尊敬し合えるような人間関係を築くことは困難でしょうし、逆に店側の人間が「こっちは美味い物を食わせてやっているんだから、お客は店の方針に従うべきだ」といった感覚でいれば、より良いサービスを提供したり、客が心から望む味や満足を与えることは難しいように思えます。私自身、医者の仕事を始めた当初は「患者さんを指導するのが医者の務め」といった意識が強く、どちらかと言えば病気や治療に関する知識に頼った医療を行っていたように思います。患者さんには、体の中で何が起こっているのか、そのためにどのような治療を行うのか…といった説明をしていれば事足りるように考えていました。しかし多くの患者さんに接しながら心療内科やカウンセリングの仕事を続けるにつれ、知識や理論だけでは皆さんの心に響く会話をすることはできないことに気づきました。そして次第に、医師やカウンセラーとしての立場をわきまえつつも、同じように人生を生きていることに関しては“対等である”一人の人間として、知識や理論だけではなく自分自身の経験や考えを踏まえながらお話をするよう心がけるようになってきたのです。
 決して「自分の方が物事を理解している」とか「自分の方が権威をもっている」と考えて他人をコントロールしようとするのではなく、相手が誰であろうとその人格を尊重しつつ、自らも柔軟な態度で接し、そうすることで相手と自分とをさらに大きく開かれた存在へと成長させてゆくことこそ“対等”と言え、それが人間の成熟につながるのではないかと思います。親と子、上司と部下…といった立場や役割の上での色メガネを外して一対一の素の人間同士としてお互いを見る時~それまでは気づかなかった共感の波が広がっていくのかもしれません。

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