“教育は共育” (あおばタイムズ 49)
一度は教師を志したこともある私は、今でも「先生」というのは最も尊敬を受けるべき職業の一つだと思っています。私は今、カウンセリングを通じて教育の一端でも担うことができればと考えています。
最近“教育”という言葉は、多くの場合「教え、育てる」という義務的な意味で用いられているように感じます。しかし“教育”の本質は、「教えられながら共に育んでゆく」ことではないかと実感しつつあります。
昨年の春に父親となった私は、まるで第二の人生を生かされているような心持ちでいます。一歳半になる息子を見ながら感じるのは、これから親である私達が次々と色々な事を教えていかなければならないということよりも、彼の中には既に数えきれないほどの宝物が備えられていて、それが月日とともに少しずつ開花していっているという印象です。初めて体験する世界や人々との出会い―それに呼応して自然に多くの才能が花開いてゆく様を目のあたりにするのは、喜びと発見に溢れる日々です。「なるほど!教育というのは子から教えられ、自ずとあたたかいまなざしになり、それによって互いの関係が育まれていくことを言うんだなぁ…」
植物を育てる時、「あっちへ伸びろ」、「こっちへ伸びろ」と指示する方はあまりいないと思います。ただ十分な日光ときれいな水、それに大きく根を張ることのできるやさしい土。そういった環境さえ整えてあげれば、すくすくと成長していって美しい花を咲かせることでしょう。
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