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言葉に縛られない!のココロ

 何事につけても、良いことと悪いこととは裏・表の関係にあります。
つまり、何らかのプラス面があるということは、別の見方に立つとそれがそのままマイナス面でもあるということです。
ですから、一つ一つの物事を単純に「良い事」とか「悪い事」と言い切れるものではないのです。

 たとえば「病気」もそうです。
 ある人が病気であるという状態は、本人にとっても、ご家族にとっても、あるいは職場にとっても、多くの場合には全くマイナスであるかのように感じられます。
 しかし病気という状態を通じて、それまでは当たり前のように感じられた自分や家族の健康のありがたみがしみじみと感じられるようになったり、会社にすべてを捧げて体を壊すまでに至った自分の生活スタイルを見直して新たな人生を踏み出したりと、病気のおかげでより豊かな人生を歩むことができるようになる方も数知れないのです。

 たとえば「子供が生まれる」というと誰もが「よかったね」と祝福してくれる場合が多いのですが、出産を控えた方や子育てに苦心している方のなかには、これから出産しなければならないという事実や、日々ともに暮らしている自らの子供の存在を素直に喜ぶことができない方もたくさんいらっしゃるのです。そのような方々のなかには、周囲の祝福や期待と、ご自分の正直な感情との間のギャップに悩んでしまわれる方が少なくないのです。
 私たちは、ほとんど自動的と言ってもいいぐらいに「子供が生まれる」→「幸せ」という図式を頭に描いてしまいますが、これは習慣化・固定化された一つの“パターン”といってもいいぐらいで、「子供が生まれる」という現象一つをとっても、実際にはそれぞれの生活のあり方や個々人のパーソナリティによって、じつに様々な心模様が描かれるのが当然なのです。

 いつの世も多くの人の心を苦しめているのは、あまりにもステレオタイプ化されたものの見方、まるで「こうでなくてはいけない」と決めつけられてしまうような、マスコミをはじめとする多くの存在による定式化された言葉の数々だと感じています。

 私たち人間にとって“言葉”はなくてはならないものですが、それはあくまでも表現するための手段・道具に過ぎません。かつて「律法は人間のためにあるのであって、人間が律法のためにあるのではない」と語った人がいますが、まさに『言葉は人間のためにあるのであって、言葉が人間を縛るべきではない』のです。
 私が“言葉”を扱うカウンセリングに興味を持ち本業としているのは、一つには言葉に縛られて動けなくなってしまっている方々を自由にしてあげたいからなのかもしれません…。

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