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自然とともに暮らす?-のココロ

 『パパラギ』を読んだり、星野道夫さんの書籍を読んでいると、私たちの暮らしている現代社会が“異常”であるような気がしてきました。
 星野道夫さんの講演集『魔法のことば』のあとがきの中で、池澤夏樹さんが、何百キロ四方もの広い畑で一種類だけの作物を作る大規模農業のあり方や、一つだけの仕事に専念して生活する現代人の心を、“奇形”という言葉で表現されているのですが、とてもシリアスですが的確な表現だと感じ入りました。

 ヨーロッパなどでは、日本人がその名前を知っているような街ばかりではなくて、自然に囲まれた小さな町でもきれいで住みよい処がたくさんあります。日本に比べ、時代的に工業化の波が早く訪れたヨーロッパでは、もう多くの人々が大都市での生活に憧れるような時期はとっくに過ぎて、今の日本に比べ、人々が自然と便利さとの間の、暮らしていく上でのちょうど良い妥協点を見いだしているようにも思えます。
 この日本でもようやく、テレビの『人生の楽園』でみられるような、そんな人々が増えてきました。
 別にテレ朝の宣伝をするわけではありませんが、土曜日の6時から『人生の楽園』で日本の、そしてそのあと6時30分からの『ポカポカ地球家族』で世界での、それぞれ自然と人とのかかわり合いのなかでの暮らしぶりを見ていると、いろいろと考えさせられてしまいます。

 みなさんはどう思われますか?

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グローバル化の波に逆らう…のココロ

 企業が競争力をつけるために徹底して合理化を進めている昨今の流れのなかにあって、なかにはゴーン社長のいる日産のように成功した例もありますが、どうなんでしょう?
 “一人一人の人間のしあわせ”という観点からみると、犠牲になっている方も非常に多いのではないでしょうか。

 仕事柄、会社でさんざんはたらかされて疲れきった方のお話を聴くことも多いのですが、「ほんとに、ひどいな」と思わされます。
 失業率が高く、転職がむずかしい情勢を逆手にとって、有無を言わせずに過酷な労働を強いられている方も多いようで、それがひいてはここ数年の自殺率の高さにも反映されているように思えてなりません。
 「これではまるで、封建社会の奴隷と変わらないじゃないか!」と、こちらが憤慨させられる気持ちになることさえあります。

 ところで、思い切って脱サラをして田舎で暮らしている方や、海外に移住してそれぞれ苦労はありながらも自分の意思で選んだ生活を満喫している方々の姿を見ると、こうやって日々忙しく自分の仕事に追われて過ごしている私たちは、じつは限られた世界のなかで、“より人間らしい生活をしている人々の世界”から隔離されたように、そんな生活のあり方を知らずに生きているように思われます。

 前回『パパラギ』のことを書いたのですが、1920年にドイツで、そして1981年から日本でも出版された(立風書房刊・岡崎照男訳)この本は、こんな私たちの暮らし方に一石を投じてくれます。
(15年ほど前に初めてこの本を手にした時、第44刷のその本は650円でしたが、現在はさらに版を重ねて第82刷。消費税ぬきで800円也でした。)
 ぜひ一度、手にとってご覧になることをお薦めします。(和田誠さんの絵による、すてきな絵本も出ています。)

 『もっと、人間らしく生きようよ。』
…というのが、私からみなさんへの、そして自分自身へのメッセージでもあるのです。

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『パパラギ』の謎。のココロ

 まずは nyotaさん、前回のエンニオ・モリコーネの記事へのコメント、どうもありがとうございました。
 ほかの方からコメントをいただいたのは初めてで、こころぐ・大変よろこんでおります。(私、とっても単純です!)
…というわけで、まずは御礼まで。
 ほかのみなさんも、よろしかったらどしどしコメントをお寄せ下さいね。

 さて先日、ある人からこのような話をききました。
 「私がいまの会社に勤める前にしていた仕事では、1ヶ月の間に決まった量だけ仕事をこなせばよかったんです。調子がのってはかどってきた日には夜まで仕事をどんどん片付けてしまい、朝起きた時に“きょうは仕事やりたくな~い”と思った日には、その日一日休みにしてしまったりしていました。」
…どうです?うらやましいでしょう!

 私も、そう思いました。
 私は会社員ではないのですが、予約のお客さんが順番にやってくるような仕事なので、自分のペースで働くことはほとんど不可能です。ですから、こんな話は一種のカルチャーショックでした。

 そして、『パパラギ』を思い出したのです。

 時間なんて、人間の生活が便利になるように発明されたもののハズなのに、いつの間にか人間の方が時間に追い回されるようにして生活している…。そう、思いませんか?
 土曜の夕方6時から『人生の楽園』という番組がありますが、あれを見ていると、このごろは“人間らしい暮らしかた”へ立ちもどろうとする大きな流れを感じます。

 ところで、『パパラギ』って何かって?
 それは今後の私たちの進むべき方向性の、ひとつのキーワードになるかもしれません。

 それはまた、別の機会に。

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エンニオ・モリコーネを聴きに行って~のココロ

 エンニオ・モリコーネのコンサートを見に行きました。
 土曜日の夕方、東京国際フォーラム。
 「ニュー・シネマ・パラダイス」や「ミッション」といった映画の音楽が好きだったのです。

 …どなたか、ほかに見に行った方はいらっしゃいますか?
 是非、その感想を聴かせてください!

 私はといえば、『う~ん』といった感じ。

 フル・オーケストラでヴァイオリンを中心にメロディーラインを聴かせるニュー・シネマ・パラダイスなどのゆったりとした曲、これはもう素晴らしかった!
 しかし、私があまり古い映画を観ていないために知らない楽曲が多かったせいでしょうか?同じリズムをくり返す単調で神経を刺激するような曲が多かったのには、正直閉口してしまいました。
 “これが、あのメロディアスな曲で知られるエンニオ・モリコーネのコンサート!?”…といった印象。
 もっとも、昔のテレビや映画の曲は今とちがって、曲全体の流れをl大事にするというよりは、短いフレーズを効果的に聴く人に印象付けたい-というねらいが強かったのでしょうから、仕方がないのかもしれませんが。
 本編で演奏されたのと同じ曲が3曲もアンコールで、開演から3時間半近くがたった頃には、申しわけないのですがもうへとへとに疲れきってしまいました。

 75歳になる巨匠エンニオ・モリコーネの、本当に昔からのファンの方にとっては、それこそ一生に一度といってもいいぐらいの貴重なコンサートだったと思います。
 でも私には、残念ながらその素晴らしさは体感できなかった。

 最後に、東京国際フォーラムの大ホールは会場全体からのスタンディング・オベーションに包まれたのですが、私個人的には、やはり『う~ん』、と唸るしかなかったのでした。

 「これも、エンニオ・モリコーネという“名前”のなせるワザなんだろうね。」
 そう、妻と話していました。

 もしこのウェブログを読まれた方で土・日にエンニオ・モリコーネのコンサートへ行かれた方がいらっしゃったら、ぜひご自分の印象を聴かせていただければ、と思います。

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「からだ」から出発する…ココロ

 今年の5月以降は気温や天候の変化がとくにはげしいので、体調をくずされた方も多いことと思います。
 かくいう私も、その道のプロ(?)でありながら軽い喘息があり、今年のこの天候には苦労させられています。

 以前は梅雨の前後の時期など寝る前や明け方には呼吸が苦しくなり、胸がヒューヒューいうこともあったので、いわゆる発作止めの吸入(β刺激薬)を使ってしのいだり、一時的に気管支拡張剤などのお薬を使っていたのですが、調子はなかなかよくなりませんでした。
 ところが、ある時先輩のドクターからステロイドの吸入薬を強くすすめられ毎日朝・晩きちんと吸入するようになってからというもの!、この一年以上、まったく発作は出ていません。
 「普通に呼吸できるって、こんなに楽だったんだぁ…」
 と、あたりまえだと思っていた状態が、じつは軽い喘息があって苦しい呼吸をしている状態だった私は、気づかされたのでした。

 というわけで、喘息で苦しんでいながら“ステロイド”と聞いて副作用を心配し、ステロイド剤の吸入に二の足を踏んでいる方。
 私の経験からも、ぜひ試してみられるよう強くおすすめします。
 (吸入薬ですので、内服ステロイド薬のように腸管から吸収され血液に入って作用するのではなく、気道の粘膜に付くことで喘息の原因ともいえる気道炎症をおさえてくれます。そのため、微量が粘膜から血中に入るだけなので副作用は非常に少ないと考えられます。)
 ただし、良くなったからといってすぐに吸入をやめてしまったら意味がありませんので、あしからず。…

 さて、ステロイド吸入薬のおかげもあって喘息にもあまり苦しめられることがなくなった私ですが、今年の4月以降どうも体調が悪い。風邪をひいたようになって、痰や鼻水が一週間以上もおさまりにくくなる症状を何度もくり返してしまうのです。
 熱はないし、食欲もまぁあるんだけれど、もともと喘息が出やすく呼吸器系が弱いものですから、痰や鼻水が多いと呼吸が苦しくなってしまって何だか元気が出ない。睡眠や休養を十分にとっても、なかなか疲れがとれるなくて体がきつい状態がつづいてしまう。
 4月から職場を変わったことも原因として考えたのですが、むしろストレスは自分で思うかぎり、3月までよりも減ったぐらい。
 何が原因なのか、どうにもスッキリしません。

 で、最近になってようやく気づいたのです。
 私は曜日によって二ヶ所の職場で働いているのですが、どうもそのうちの一ヶ所で働いている日、そしてそのあとの調子がとくに悪いようなのです。
 「何かのストレスかなあ???」…
 いやいや、精神的なものではなくて、明らかに身体に症状がでています。『そうか!?』
 以前、同じ職場で働いている人が、「仕事に来ると頭が痛くなる」と言っていたのを思い出しました。当時は私も、その人の頭痛は仕事のストレスが原因ではないかと思っていたのですが…
 どうも、“シックハウス症候群”のようなのです。その人も、私の症状も。
 その職場は、新しい建物ができてちょうど1年ほどでした。

 その次の勤務から、窓を開けて十分に換気するようにしたところ、それまでのようにすぐに疲れる感じはなくなりました。それに何だか、職場での時間経過の感じ方まで変わってきたように感じられたのです。(それまでは、どこかでイライラしていたようなところがありました。)
 とくに勤務中に出ることが多かった痰や鼻水も、あまり出なくなりました。(ティッシュペーパーの消費量が、目に見えて減りました!)

 というわけで、私たちの「意識」(頭で考えること)ではマヒして分からなくなってしまっていても、じつは「からだ」の方が気づいていること、というのはいっぱいありそうです。
 『からだなくして、こころ無し。』
 からだの“感性”を大切に生かしてあげることが、こころを大切にすることにつながってくるのではないか?-と感じる、きょうこの頃です。

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サトウ・タクマ(佐藤琢磨)のココロ

 みなさんは、佐藤琢磨さんを知っていますか?
 今は知らないかもしれないけれど、たぶん半年もすれば日本中の人がその名前を覚えてしまうでしょう…。

 世界に20人しかいないF-1パイロットの一人として、あのアイルトン・セナと同じホンダ・エンジンを駆って奮闘している佐藤琢磨選手は、大学時代は全日本学生選手権で優勝するなど自転車競技の選手でした。それが、10歳の時に鈴鹿サーキットで観戦したF-1日本グランプリでのセナの走りへの感動を忘れられず、年齢的にはギリギリ最後のチャンスだったが自ら大学を休学してレースの世界へ転向。その後、今でも実際にはその基盤はヨーロッパの文化圏に根差しているF-1を目指すため、敢えてイギリスのF3レースに参戦し優勝。今でも外国人プレスからのインタビューにはすべて流暢な英語で答えるという、たいへんな努力家なのです。

 つい先日、ここ4年連続でF-1の年間チャンピオンに輝いているフェラーリ、ミハエル・シューマッハーの地元ドイツで、今季F-1第7戦・ヨーロッパグランプリがおこなわれました。
 日曜日のレースでスタートする順番を決める土曜日の予選で、佐藤琢磨は日本初の2位。
 いつもは日曜の深夜に中継されるF-1はビデオにとっておいて後日に観戦する私ですが、今回ばかりは翌日の仕事のことは忘れ、夜遅くテレビの前に集中してスタンバイしました。

 レース終盤まで、1位のシューマッハにはやや水を空けられた佐藤琢磨でしたが、3位以内をキープ。私たちの目にも、初の表彰台はもはやまちがいないように思われました。
 そして、ピットストップで先を越されてしまったシューマッハーのチームメイト・2位バリチェロを、見ている私たちの方が驚いてしまうほどあっという間に追いつめ、追い抜こうとしたその瞬間!バリチェロと接触し、車にダメージを受けたのは琢磨の方でした。フロントノーズを破損し、再びピットイン。ノーズ交換にやや手間どったものの、レースに復帰。残り10週余りでどこまで追い上げられるか?と思ったその時、エンジンから突然白煙があがり、無念のリタイアとなってしまいました。
 テレビの解説者も、そして観ていた私も、「なぜ、琢磨はあのタイミングでバリチェロを抜き去ろうとしたのだろう。あれからもっと慎重に行けば、いくらでも安全に追い抜くチャンスはあったのに…。」と思ったものでした。

 ところが、優勝したミハエル・シューマッハーのレース後のインタビューを見て、考えが変わりました。
 “Takuma is quick.”
 シューマッハーの地元であるドイツで、そして全世界へと中継される公式インタビューの場で、『琢磨は速い』とはっきりと口にした世界チャンピオン。そこに私は、次世代のチャンピオン候補である琢磨に対する、現チャンピオンからの目に見えないエールを感じたのです。

 思えば、若いころのアイルトン・セナは、ただ“速い”ことだけを追求して走りつづけ、「もっとプロストのようにレース運びがうまくならなければ…」と、あちこちから苦言を呈されたものでした。
 シューマッハーだって昔は今よりずっと攻撃的で、最終戦で優勝争いをしていたジャック・ビルヌーブに自分の方から接触してゆき、全戦分のポイントを剥奪されたこともあった。
 あまりに果敢なために責められることさえあるが、それでチャンピオンになれる者と、そうでない者とのちがい。…
 シューマッハーには、それが分かっていたのではないでしょうか。

 だから、佐藤琢磨と同じBARホンダ・チームのジェンソン・バトンはこの第7戦を終えた段階で、琢磨のドライバーズ・ポイント8点に対して38点と大きく上回ってはいるけれど、シューマッハーにとっては脅威ではない。
 むしろシューマッハーは自分やセナと同じように、チャンピオンとしての資質とそのスピリットをもった“サトウ・タクマ”を、認めているのではないでしょうか。


 それにしてもジェンソン…お願いだから、琢磨のことを『タキューマ』と呼ぶのはやめにしてくれないかな。
聞いていると何だか恥ずかしいから、“タクマ”と同じ日本人としてお願いしておくよ。

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