“さようなら、こんにちは” (あおばタイムズ 73)

 近いうちにカウンセリングルームを閉院することになりました。あおばタイムズ「わが街のホームドクター」には二〇〇四年秋の開院以来、継続して寄稿させていただきましたが、今回が最後のコラムとなります。これまでご愛読いただいた皆様方には、心より感謝申し上げます。カウンセリングルームの閉院ということで一つの小さな歴史の終わりを迎えますが、これは同時に新しい何かの始まりでもあります。私が福岡に住んでいた若い頃、九州大学心療内科の大先輩で「さよならだけが人生さ…」というのが口癖の先生がいました。当時は「ずいぶんと寂しいことを言うものだなぁ」と思っていましたが、私も今では四十歳を過ぎて、少しは先生の気持ちが分かるようになった気がします。カウンセリングルームを開いた頃は、ここでの仕事を一生続けていくつもりで始めましたが、現実というのはどう展開していくか分からないものです。しかし人は、予測のつかない現実を経験することによって考え、工夫をし、学ぶことによって、それまで気づいていなかった新しい自分に出会うことも多いのではないでしょうか。変化を怖れていては、前に進むことができません。長年大事にしてきた品物の数々を部屋の中に後生大事にとっておくうちは、新鮮な新しい空気を招き入れる余地は少ないのです。そういう意味で、≪さようなら≫はむしろ、≪こんにちは≫に出会うための出発点だと言えます。
 最後に、これからの読者の方々と私自身のために、ある人の言葉を引用させていただきます。『…あるいは、自分のやっていることは「退屈」だと思うこともあるでしょうが、それは、何をするかが問題ではなく、どうやるかが問題なのだということを忘れているからです。やって来るすべてのことに対して、その来るがままに全面的に応じるコツを覚えることこそ、あなたが自分に与えることのできる最高の贈り物なのです。一度に一歩ずつ生を歩むこと、一歩ごとに欠けることのない注意とエネルギーを注ぐことが、あなたのするすべてのことにびっくりするほどの新しい活力と創造性をもたらします。』

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“すべてのものは移ろいゆく” (あおばタイムズ 72)

 ある本からの抜粋です。「ある特定の生き方をし、その生き方が社会的に受容されているという理由だけでそれを続ける者たちは、死の瞬間に苦しみ、後悔することになる。これをすべきだった、あれをすべきだった、この人を愛すべきだった、あの人と結婚すべきだった、というさまざまな思いが彼らを苦しめるのだ。こういった「すべきだった」ことすべてが、彼らをここに引き戻すことになり、彼らはそれらをすべて完了するまで、「今できる」ことをここで体験するのだ。」また同じ本には、こう書いてあります。「喜びとは何なのか?喜びとは、何の邪魔も入らない動きの自由のことだ。それは、何の審判もなく表現する自由だ。恐れや罪悪感なしに存在する自由のことだ。喜びとは、あなたが自分自身の視点から人生を創造していることを知っている状態なのである。それは自己の崇高な動きが許されている状態だ。それが喜びである。」
 人生の創造―それはある意味、それまでの経験から『これが自分だ』と信じているはずのものを打ち壊し、忘れるようにしながら、まったく新たな体験を積み重ねてゆくことだと思います。それは時に不安を伴うものであり、未知の扉を前にした緊張や怖れを感じさせることもあるでしょう。しかしそれは当然のことであり、おそらく不安や怖れを伴わない挑戦はありえないのではないかと思います。むしろ不安や怖れを数多く体験した人ほど、ほかの人々にも共感できるよう成長してゆくのではないかと思います。いくつになっても、人間にとって感情の占める部分は大きいのですから、むしろ歳をとってもそれらを率直に表現できる方が、私はすばらしいと思います。まるで氷のように感情をフリーズさせてしまう状態よりは、素直に泣いたり怒ったり、自らの喜びを表現できることこそ、人間としての特権ではないでしょうか。私は長い間のカウンセリングの経験を通じ、今そのように感じています。そして私自身もまた、ただ特定の仕事や生き方を続けるだけではなく、その時々に応じて自分らしくあることができるような、生活の仕方を模索していきたいと思っています。

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“エネルギー≪人≫” (あおばタイムズ 71)

 先日、すばらしい方にお会いしました。心理関係の講座に参加していた時の先生なのですが、その方から醸し出される雰囲気というか、その人から感じられるエネルギーがすばらしかったのです。先生は外国人の女性の方で、例えて言うならマザー・テレサのような、いつも穏やかな微笑みを湛えている方です。じっと目を見つめて話を聴いてもらっていると、「それでいいんですよ…」とすべてを許容してもらえるような、まっさらで澄みきった心持ちにさせてくださる方でした。
 私たちは人に会うたび、無意識にその人のエネルギーを感じているように思います。例えば「やさしそうな人」、「情熱的な人」、「さびしそうな人」、「圧迫感のある人」…。「何となく好き」とか「何となく好きになれない」などと感じるのも、その人の持つエネルギーを受けとっているからなのでしょう。私は講座に参加している間、先生の存在そのものに癒されている感じがしました。その人と共にいると、なぜか自分までが穏やかで優しい気持ちになれる…そんな経験をしました。そして、自分もこんなふうになれたらいいなぁ―と、心から思いました。先生の姿を見ていて教えられたのは、人に何かをしてあげるというよりも、その人が静かにその人らしくあろうとすること、安心してその人らしさを自由に穏やかに表現していくことをサポートする、優しくて受容的なあり方でした。まさに、カウンセリングをするにあたって自分が求めていたのは、このような姿勢だったのか…と、まるで生きるお手本を見せられたかのようなおもいでした。
 皆さんも、いろんな人や場所・物などのエネルギーを感じてみてはいかがでしょうか。ありのままのエネルギーを感じながら行動していると、頭で考えるよりもスムーズに物事が展開していくかもしれません。自分の存在と周囲の世界が調和しながら進んでいく―そんなイメージを得られるきっかけになるかもしれません。

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“ありのままの価値” (あおばタイムズ 70)

  いつもカウンセリングをしていて悩ましいと思うのは、多くの方々が自分自身について自信を失くしてしまっている―ということです。かく言う私自身でさえ、自分に対する自信を失いかけることがあります。みんながもっと、自分というものに自信を持って生きていくことができたら…きっともっと幸せな社会が実現するのではないかと思うのですが。そもそも人は誰でも、その新しい生命の誕生を無条件に祝福されてこの世にやって来る、というのが古い時代からの自然なあり方だったのではないかと思います。生まれてからどのように成長していくか、どんな人間に育っていくかということは抜きにして、命あるものとして生を受けた、そのこと自体が祝福されるべきものであったと思います。しかし人間の知性(マインド)が発達するにつれ、生命の輝きそのものを称えるよりも、どんな人間であるか?ということに関心が移ってしまったようです。「どんな学校へ行ったのか?」「どんな職業に就いているのか?」「どんな肩書きを持っているのか?」「どれぐらい給料をもらっているのか?」「他の人からどんな評価を受けているのか?」…ある意味、その人そのものというより、貼り付けられたラベルのようなものの方が、大手を振って世の中を闊歩するようになってしまいました。そしてそのことで、多かれ少なかれ誰もが苦しんでいるのではないでしょうか。他人のことをあれこれ評価することが、知らないうちに自分自身をも苦しめることにつながってしまってはいないでしょうか。
 カウンセリングには様々な悩みを持つ方が訪れますが、その悩みの一つ一つはご本人にとって、かけがえのない大切なものです。ですからそれを大切に扱いながらご一緒に見ていくことを通じて、誰にでも共通するような苦しみが少しでも癒え、自分自身に対する自信を取り戻していただけたら…と思っています。おそらく、一人の人間が癒されるということは、社会全体が癒されることへ通じるのだと思います。

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“正体をさぐる…?!” (あおばタイムズ 69)

 「あなたの正体は、いったい何ですか?」…こんな質問を自分自身に対してしていることがあります。私という人間は、医者をやっていて、心療内科や老人施設で診療をしており、また同時にカウンセラーでもありますが、それはあくまでも社会的な役目や働きのことです。ここで、オーラソーマのボトルの色を通じて、私自身について見てみましょう。たとえば私が、107本ある《オーラソーマ》のボトルの中から36番のボトルを選んだとします。オーラソーマのボトルは、すべて上下が美しい色の二層に分かれていて、上層は「意識」や「パーソナリティー」を、下層は「無意識」や「たましい」の性質を表すと言われています。36番の色は上層がヴァイオレット、下層がピンクです。上層のヴァイオレットという色は癒しや奉仕と関係しており、また他の人々が変容するプロセスを手助けするといった意味合いもあります。また下層のピンクは全てのものをありのままに受け入れる色であり、思いやりと理解を表す色でもあります。ですから、上下がヴァイオレット・ピンクの36番のボトルは、自分自身がもともと持っているありようを受け入れ、そのことを通じて他の人々をも受け入れていくほどに、奉仕や変容を現実化していくことができる―ということを示唆しています。
 自分の正体を知るために、いろいろなことにチャレンジしてみるのはよいことです。たとえばある役者さんが、時代劇ではいつも主役級で偉い人物の重厚な役ばかりを演じていたとします。それが、あるきっかけでバラエティー番組に出たり歌を唄ったりしたところ、周りの人から見てもとても楽しそうで素敵に感じられ、評判も上々でした。本人も、そうしていると実際に楽しく、いつのまにかそれもまた自分らしい姿であることに気づいたのではないでしょうか。こうやって、人はさまざまなきっかけを通じて自分というものに気づいていくことができます。自分自身というものに限界を設けずそれを拡げていくことは、ほんとうに素晴らしいことだと思います。

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“色々な出会い” (あおばタイムズ 68)

 太古の昔から数多くの人々が、「なぜ私たち人間は生きているのだろう?」という疑問を持ち、それを探求してきました。そのなかでも特にこれまで私を導いてくれた先達と言えるのが、精神科医であり心理学者でもあったカール・グスタフ・ユング、人智学の体系を確立し教育にも貢献したルドルフ・シュタイナー、大科学者でありながら死後の世界をも探求したエマヌエル・スウェーデンボルグという、三人の巨人たちです。私たちには、普段はっきりと認識している’意識の世界’がありますが、これら三人はそれを越え、”潜在意識~無意識の世界”を深く探求しました。私たちの意識の世界では様々な出来事が目に見えるかたちで現象として現れますが、実はそのもとになっているのは潜在意識~無意識の世界であって、それはなかなか目に見えにくいものだといいます。その目に見えにくい潜在意識~無意識の世界を私たちに分かりやすいかたちで垣間見せてくれたのが、この三人の巨人だと言えるでしょう。そのおかげもあって、私自身もこのような、人の心と人生について思いを馳せる職業に就くことができたのです。
 心理の臨床家であったユングは、潜在意識や無意識の世界を知る手段として夢の分析を行いました。私も心理の勉強を始めた若い頃は、夢分析をすることに憧れたものです。しかし情報化社会で多くの人々がせわしない生活を送る現代にあって、カウンセリングで定期的に夢の分析をしていくことは何だか難しいことのように思われました。「ほかに何か、潜在意識や無意識の世界に近づく手立てはないものか…」漠然とそう考えていました。そして数年前、オーラ・ソーマのボトルに出会ったのです。百本以上あるオーラ・ソーマのボトルは上下二色の層に分かれていて、ボトルを選ぶことでまるで鏡のように、選んだ人自身の意識と無意識/潜在意識の姿を映し出してくれるといいます。今では夢分析とは異なった新しいやり方として、カウンセリングの際にオーラ・ソーマのボトルを用いるようになりました。

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